4年間を振り返って

メモリーアスリートのつぶやき

メモリーアスリートの小林です。

突然の私事ですが、今年の3月を機に大学を卒業し就職して忙しくなるので一旦メモリースポーツの第一線から退こうと思います。なので私なりに後の世代に何か残せることはないか、今の自分にしか書けないことは何かと、今回の記事の内容について考えた結果、自分の4年間のメモリースポーツ人生を簡単に振り返って上手くいったことや失敗してしまったことを書こうと思います。

メモリースポーツを始めた当初、「記憶するって楽しい!」

私は大学に入る前の春休み3月ごろ、4年前の当時日本チャンピオンであった平田直也選手がテレビに出ていて、「記憶力は遺伝ではなく鍛えることができる」と熱く語っていたので、「本当に記憶力って自分で挙げることができるの?記憶力あげて大学の勉強とか楽になれば良いな」と思いBSAの体験会に即申し込みしました。

正直言って記憶を楽しみたいとか、メモリースポーツをガチでやりたいなんてことは一ミリも思っていませんでした。ただ高校などはスポーツ推薦であったため、大学受験で初めて長い間勉強をして勉強が死ぬほどしんどく嫌いだったので、それが楽になれば良いなという邪な気持ちで始めようとしました。

今になって思いますが、始める理由は何でも良いと思います。

最初から「勝つためにメモリースポーツに競技をしたい!」と思うような人はほとんどいないと思います。「資格試験に役立てたい」とか「成績を上げたい」といったような理由で始める方が恐らく長続きしやすいし、簡単に始めることができると思います。

ところが、BSAの体験会に行って体験授業(当時は簡単にストーリー法と場所法をした気がする)を受けると自分になかった記憶力が開花した気がして、「頭の中にイメージして記憶するって楽しい!、記憶って楽しいことなんだ!」と思いました。

日本一になるという目標

それからは毎日メモリースポーツの練習をするようになり、毎日自己ベストを更新して記憶力が上がっていく感じが楽しくなってきました。そして競技を始めて3月後の2019年の6月にSCCというトランプ記憶のみの大会に出場しました。結果は5回中3回失敗し、成功したタイムも1分33秒とあまり満足のいかない結果ではありましたが、緊張感のある大会で記憶するという体験は他に比べられないほどの喜びと面白さがあり、大会でいい結果を残したいと思うようになりました。

そしてその1か月後の7月にJapan Open Memory Championship 2019という10種目競技の大会があり日本の中で2位の成績を残しました。やはり大会の緊張感はとても面白く、ここら辺から「日本一になりたい!」と思うようになった気がします。とはいえ日本一の平田選手とは大きな差があったので、「まずは一つの種目で日本一を目指そう」と思い自分が好きな種目であるトランプ記憶に力を入れました。

今思うと、当時の自分で日本一になるというのはレベル的にとても難しいと思うので「まずは一つの種目で日本で誰にも負けないようにしよう」と思ったことは良い目標設定だったのではないかと思います。これは今でもメモリースポーツのコーチをするときによく言うことですが、一つの種目を毎日練習し続けることができれば日本で一番になることは絶対に無理なことではありません。

また、日本で一番とはならなくても一つ得意な種目を作り、結果を残して成功体験を作ることによって他の種目にも経験を活かされ何よりも大きな自信となります。メモリースポーツでは自信というのはとても大切な要素なので、まずは一つの種目に注力することを薦めます。

世界一になるという目標

トランプ記憶に注力をしてどんどんと自己ベストを更新していき、2019年の10月にインドネシアで行われた10種目のアジア選手権では「30mins Cards」という30分でどれだけトランプを覚えられるかを競う種目で日本記録を出すことができました(いまだに破られていない)。さらに、翌年の3月に行われたSCCでは33秒で記憶し日本記録を出すことができました。

また2020年5月に、メモリーリーグ(5種目競技)の世界大会に参加しベスト16で終わってしまったが世界の強い選手たちと戦うのがとても楽しく、「次は世界を目指そう」と思うようになりました。そこからは練習のペースが上がり年末に行われたJapan MLCでは優勝し世界一になるという目標のために毎日練習をしました。

大きな壁

メモリースポーツを始めて3年目になり2021年からに入って初めの世界大会「Pan American Open 2021」はとても大きな転換期になりました。世界一になるという目標を掲げ、メモリースポーツへの熱が高くとても気合が入った状態で臨んだ世界大会でした。正直なところ、当時の実力や下馬評では世界一とはとても程遠かったと思います。

しかし、毎日何時間も練習をしスタミナが他の選手とは違うこと(実際1回戦と準々決勝では3時間半に及ぶ戦いを制していた)やトーナメントの組み合わせの運などもあり、決勝に進むことができました。対戦相手はメモリースポーツ界の絶対王者のAlex Mullen、世界一という目標を達成できる願ってもないチャンスがいきなり来ました。

試合は第1セットでは一度逆転するも3-5で負け第2セットでは0-4で負け結果は準優勝。運よく決勝に上がることができたが、とてもとても大きな壁を感じてしまいました。こんなに頑張っても絶対王者には大きな差がある。「絶対に勝つことはできない」と思うほど強く「世界一になることはできないのではないか」と思ってしまいました。

今になって思うと、この大会が自分のメモリースポーツ人生の中で大きな意味を持っていたと思います。「世界一になる」という目標は地に足がついていた目標ではなかったかもしれないが結果的に練習量も増え実際強くなったので悪い目標設定であったとは思いません。

しかし、世界大会で準優勝をして達成感がありつつも「これ以上は厳しい」と思ってしまったことが失敗だったと思います。それからは世界一という目標が遠くへ行ってしまった感じが心の奥にずっとありました。そう思わせるほどの強さがAlex Mullenにはあるとも言えますが、世界大会準優勝が自分の限界だと思うのではなくもっと突き進むべきであったと思います。

その後は、少し練習量が減ってしまいますが年末に行われたJapan MLCでは「日本一は譲らない」いう気持ちでもう一度練習のギアをあげ、日本大会を連覇することができました。しかしそれからというものの、大きな壁を感じたことが心に残っており、連覇を達成したことによりメモリースポーツへの熱が燃え尽きてしまった気がします。

4年目はやはりメモリースポーツから離れる時期もあり、あまり良い結果を残すことができませんでした。教訓としては長く続けるためには、気持ちを入れ過ぎてしまうことは熱が冷めてしまう原因となるのでやめた方が良いということです。

記憶を楽しむことが一番

自分の4年間のメモリースポーツを振り返ってみると学ぶべきことや改善すべき点がたくさんあったと思います。何よりも記憶が楽しかったころの初心を忘れるべきではなかったのかもしれません。勉強に活かしたいなどの他の目標やどんなに高い目標があったとしても、最初にメモリースポーツに出会った「記憶が楽しい」という気持ちをいつまでも忘れないことが重要だと思いました。